付き合った当初が懐かしい。
何の用事がなくても、関係なかった。
中身のない話でも永遠とできた。

ケンカもしたけど、気づいたら元通り。
そのまま結婚して、子供できた。
子育てに忙しく、ふたりの時間は少しづつ減っていた。

最初は気づかなかった。
いつのまにか会話がなくなっていた。
距離は近くてもなぜか遠く感じる。

なぜ年月はこれだけ人を変えるのだろう。
ふと考えると、寂しさがこみあげてくる。
このままいくと、私たちはどうなるのだろうか。

会話がない夫婦はどれぐらいあるのだろう。

ご近所のご夫婦はすごく仲がよさげに感じる。
でも、本当の姿は誰にもわからない。
おそらく、私たちもそう見られてるのだろう。

人前では、いつもと変わらない様子でいる私たち。
だれにも言えないことだからだろうか。
これだけ寂しいと感じるのは。

このまま放っておくと、この気持ちはどうなるのだろう。
時間が解決するのか、どれぐらい我慢すればよいのか。
恐らく、私は耐えられない。

寂しさは時間が解決することはない

寂しいという気持ちは時間が解決してはくれない。
ただ時間が経つにつれて、まぎらわせる何かが起こる。

それは、友達との旅行かもしれない。
子供の私立の受験かもしれない。
もしかしたら、新しい出会いかもしれない。

この年齢で新しい出会い?
子供の友達のお母さんたちとは、そういう話も少なからずある。
だれだれがどうらしいとか、どうなったとか。

普段は何気なく話してる会話も、少し気になってくる。
どうやってその二人は出会ったのだろう。

明日、公園で会うかもしれない。
少し探ってみようかな。

さて、ここまでの話はフィクションである。
この女性はこのままいくと、あまりよくない方向に行きそうだ。

寂しさは誰もが長くは耐えられない。
だから、なにかで寂しさを埋めようとする。
たとえ、その行為が世間的に認められないとしても。

今の時代、新しい出会いを求めるとすぐ手にいれることができる。
なので、その出会いが必要であれば、簡単に手に入るだろう。
だけど、それで生じた責任をかぶるのは全て自分である。

最終的に先ほどの女性は、そういった方向に行くことはなかった。
公園には、犬と散歩してる女性がいた。
見てると、なぜか心が癒された。

数か月後、彼女は犬を飼っていた。
犬は寂しいという気持ちをいつの間にか埋めてくれた。
子供も犬と仲良く公園を走り回っている。

最初は犬を飼うのに反対だった旦那も積極的に散歩にいってくれる。
少しづつ会話が増えてきた気がする。
そういえば、子供が生まれたときもこんな感じだったかな。

夫婦の会話は、すごく大切なもの。
なかったら寂しさを感じる。
だからその寂しさは何かで埋めないといけない。

いや、恐らくその寂しさは自然と埋まるのだろう。
でないと、その寂しさに耐えることは私には難しい。